創業~沿革
明治40年頃、本家の有る金沢より上京、東京市麻布区笄町(現在 東京都港区南青山7丁目)に創業。
大正年間には、日本赤十字社中央病院(現在 広尾/日赤医療センター)の敷地を借り、花を栽培していた。戦前は近隣の久邇宮家(現在 聖心女子大学)、常陸宮家などにお出入りを許されていた。又、店の裏の方に住まっていた勅使河原そう風氏(いけ花 草月流初代家元)に店の花材を提供するなど支援をした見返りに「花長」の文字を揮毫して貰う。爾来、店のロゴはこれをもとに製作今日に至る。戦後は、茶道の家元の勧めもあり、茶花を扱うようになり、表千家、裏千家、武者小路千家はじめ、遠州流、江戸千家、三徳庵など各茶道流派に応じた茶花を提供するに至る。
茶道関係の顧客のみならず、特徴ある花材を求めに様々な顧客が訪れ、白洲正子氏のお宅にも度々お納めした。和花と言う日本の風土で培われた植物を多く扱い、それを求めるお客様の支持を得て今日に至る。